レポート・コラム

【理事長論説】賃金引き上げによる企業活動への影響(若生幸也)(2024年8月1日)

賃金引き上げによる企業活動への影響

1.はじめに

 政府や日本銀行は、「所得と物価の好循環」を旗印に政策を展開している。所得と物価の好循環は、勤労所得である賃金の引き上げが家計の消費拡大につながることと同時に、企業経営の持続性を担保しつつ継続的な好循環を実現することが必要となる。名目賃金と物価が同レベルで上昇した場合、国民生活の質は今と変化せず、むしろ将来に向けた期待インフレ率等の関係から慎重な消費行動を選択する可能性も少なくない。このため、消費拡大による国民生活の質の改善には、名目賃金上昇が物価上昇をどれだけ上回るかがポイントとなる。しかし、その点は企業の収益構造を通じた付加価値の配分に影響を与える。
 新しい資本主義の下でこの政策が掲げられてから2年半以上が経過する。前回の論説「賃金引き上げによる消費への影響」では、賃金引き上げが消費にどのような影響を与えるかを概観した。賃金引き上げ率が5%超と高水準であっても、高所得層・低所得層といずれの所得階層とも勤労収入支出割合は高まらず消費支出拡大効果は限定的であった。このため、所得を消費にさらに強く結びつける構図の形成が求められる。ただし、物価上昇を上回る賃金上昇を実現することによって企業の収益体力に与える中長期的影響を明確にして経済の持続性確保の視点を持つことが必要である。

2.賃金引き上げによる企業活動への影響

(1)賃金引き上げの体力となる経常利益率の推移

 まずは資本金10億円以上の大企業や全規模平均の経常利益率の推移を見てみると、2008年のリーマンショック以降は、2020年のコロナ禍を除いて一貫して右肩上がりの状況にある。一方、資本金1000万円以上2000万円未満の中小企業は直近10年間横ばい傾向にあることが分かる。

(資料)財務省「法人企業統計」より筆者作成

(2)全規模平均の付加価値額と労働分配率の推移

 2024年5月時点で毎月勤労統計調査の実質賃金はプラスに転じていないが、連合2024年春闘の第7回(最終)回答集計によると、名目ベースでは全体で5.1%の月例賃金改善の結果が出ている[1]。これは昨年比1.52ポイント上昇の高い水準にある。
 そこで法人企業統計季報を用いて、付加価値額(経常利益額+人件費+減価償却額)と労働分配率を企業規模別に整理した。
 まずは全規模平均から確認する。予測条件は各期2024年4-6月期より5.1%の賃上げを想定し、付加価値額全体の数値は変化がないと仮定し、前年同期比を基準として人件費が5.1%増となった場合の経常利益額相当分減額等の影響を2025年1-3月期まで整理した。過去から徐々に落ちている労働分配率はコロナ禍前の水準まで戻らないことが分かる。

(資料)財務省「法人企業統計」より筆者作成

(3)資本金10億円規模の大企業の付加価値額と労働分配率の推移

 次に資本金10億円規模の大企業の付加価値額と労働分配率の推移を確認する。予測条件は先と同様である。過去からの労働分配率の落ち込みは全規模よりも更に大きく、労働分配率の戻り幅も小さい水準にとどまっている。

(資料)財務省「法人企業統計」より筆者作成

(4)資本金1千万円~2千万円未満の中小企業の付加価値額と労働分配率の推移

 さらに資本金1千万円~2千万円未満の中小企業の付加価値額と労働分配率の推移を確認する。予測条件は先と同様である。過去からの労働分配率の落ち込みはそれほど大きくなく、おおむね過去の水準に戻していると言える。実際に日本商工会議所「中小企業の賃金改定に関する調査」(202465日)[2]でも業績改善を伴わない防衛的賃上げが6割弱との調査結果もあり、過去の労働分配率を基準とすれば賃上げ余力は早くも限界を来していると言える。

(資料)財務省「法人企業統計」より筆者作成

(5)企業規模別の一人あたり労働生産性比較 

 最終的に付加価値額を企業役員・従業員人員計で除した企業規模別の一人あたり労働生産性を比較してみると、2010年からの伸び率は大企業1.42倍、中小企業1.39倍、全規模1.38倍とそれほど大きな差異はないが、各企業規模別の水準が大きく異なることが見て取れる。特に、足元での労働生産性の改善は大企業に強く表れている。
 仮に、労働分配率を一定とした場合でも、企業が持続的に物価を上回る賃上げを実現するためには、企業規模に関係なく労働生産性を高めることが不可欠となる。

(資料)財務省「法人企業統計」より筆者作成

3.まとめ

 賃金引き上げ率が5.1%と高水準であっても、全規模や資本金10億円規模の大企業では労働分配率はコロナ禍前までに戻らない一方、中小企業では労働分配率がこの1年以内に過去の水準まで戻ることが予測される。企業規模によらず労働生産性向上が不可欠であるが、特に中小企業を中心に強く求められる構図となる。
 このため、受発注・資機材配送等の非競争・協調領域の共同化、デジタル活用の深化などを通じた中小企業の労働生産性向上の視点が今まで以上にスピードを持って求められると言える。


[1] 連合「2024春季生活闘争 第7回(最終)回答集計結果について」
[2] 日本商工会議所「『中小企業の賃金改定に関する調査』の集計結果について~中小企業の賃上げ率は正社員で3.62%、パート・アルバイト等で3.43%~」


若生幸也(わかおたつや)
日本政策総研理事長兼取締役
東京大学先端科学技術研究センター客員上級研究員

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