【自治体政策論説】政策議論・政策交渉のあり方とトロッコ問題・AI②(宮脇淳)(2023年12月1日)
政策議論・政策交渉のあり方とトロッコ問題・AI①
宮脇淳
1.はじめに
前回「①」では、経済社会が構造的対立を深める中でのトロッコ問題の多様性を紹介した。今回「②」では、地方自治体の政策議論・予算編成等を巡る社会的交渉へのAI活用について検討する。
2.交渉の類型
交渉で主にイメージされる点は、「相手の行動を予測し、自ら取るべき行動を決定する」の意味であり、「ハーバード流」で有名な市場メカニズムを通じたビジネス交渉が代表格となる。ビジネス交渉は、「競争」を軸とした排他的価値配分を最終的に求める。たとえば、ビジネス交渉におけるハーバード型バーゲニングは、ソフト型・ハード型に分かれる。接近方法は異なっても、取引を通じた価値配分が目的であり最終的には同じ目的を有する者間で一定の勝敗を決することが基本になる。
(図表1)ハーバード流ビジネス交渉の基本類型
ソフト型 |
ハード型 |
参加者は友人 |
参加者は敵 |
目的は合意、合意に固執 |
目的は勝利、自分の利害に固執 |
友好を深めるため譲歩 |
友好の条件として譲歩を要求 |
相手を信頼 |
相手を疑う |
自分の立場を変える |
自分の立場を変えない |
一方的な不利条件も受容 |
一方的に有利な利益を強要 |
答えは一つ=相手が受け入れる内容 |
答えは一つ=自分が受け入れる内容 |
(資料)ロジャーフィッシャー「ハーバード流交渉術」知的生きかた文庫(三笠書房1989)等より作成。
地方自治体で展開される交渉は、ビジネス領域と異なり多様な価値観で構成される地域課題の問題解決を目的とする。すなわち、排他的価値配分を目的とするのではなく、異なる価値観の中で排他性を抑制しつつ協力関係を如何に形成するかを模索する。地域問題に対して排他性を強く位置づけるほど、足元での問題は解決できても住民間の対立を長期的に深刻化させる要因となる。しかし、地域間の競争関係が高まる中で、地方自治体の交渉においても観光・産業等の分野をはじめとしてハーバード流の市場的視点が重要となる領域が拡大している。パートナーシップの拡充、官民間の垣根が低下する中で地方自治体の問題解決においてもビジネス交渉すなわち「市場的交渉」の視野の必要性と地域の政策交渉たる「社会的交渉」が競合関係を強めている。
(1)市場的交渉とAI
前述したように問題解決型の交渉は、市場的交渉と社会的交渉に分けられる。市場的交渉の特性は、排他性と競争性である。同一目的を持った複数の者が競争する中で、最終的な目的に接近するほど他者を排除していく性格が強まる。たとえば、地方自治体においても職員採用試験、提案型の競争入札のプロセスなどもこれに該当する。このプロセスも広い意味の交渉であり、透明性の観点から点数化等一定の評価基準が設けられる。このため、数値化された評価基準に従った交渉は、その意思決定において合理的形成の機能を組込むことが可能でありAI機能との親和性は高い。
合理的形成は、エビデンス化を求める実証主義に基づき科学的手段たるデータ分析の結果を、必ず次の意思決定に反映させることを求める。したがって、点数化等により合意形成できる対象には親和性が高く、いわゆる「教師あり学習型」のAIの入口となる。
(2)社会的交渉とAI
一方で社会的交渉では、多様な利害関係が輻輳するため現実の経済・社会的権力関係等が生み出す、いわゆる「調整」が意思決定において重要な位置づけとなる。そこでは、合理的形成と異なり調整プロセスに内在する情報の非対称性が大きく、数理合理性では説明しきれない人為的介入、すなわち暗黙知(外部から確認できない情報)を多く抱える結果となる。このため、敢えて数値化しても暗黙知との利害関係の対立をかえって先鋭化させる。先鋭化した利害関係の下ではデータ形成のプロセス自体への介入が発生し、特定利害の優位性を確保しようとする闘争的交渉姿勢を強める。このため、仮にAI化してもこうした介入が行われれば、AI自体の信頼性が失われる。AIが行う意思決定のプロセス自体の共有と可視化を常に行い、暗黙知をモニタリングする機能の組み込みを少しでも進める必要がある。
社会的交渉では、意思決定への参加者全員が積極的に賛成することはなく、反対の意思があったとしても表明しない姿勢を含む合意となる。すなわち、様々な価値観を背景とした社会的交渉では全員が積極的に賛成することは極稀であり、非同意非顕在型(反対意思があっても表明しない)での合意を目指す。社会的交渉では、①当事者間の交渉が経済・社会的格差を無効化できず暗黙知が多く存在すること、②現実社会の交渉では、情報の非対称性が存在する中で公正確保の条件追求に限界があること、③現代社会の価値観の多様化こそがリベラルの本質であり、多様性の下では「理にかなった不合意」、すなわち非同意を顕在化させないことが社会的合意の本質であること(ジョン・ロールズ)、④特定の価値観に基づく合意は自由と良心に対して抑圧的であり、「理にかなった不合意」を如何に安定的に実現するかが実践的合意であり、「非同意が一定の努力により顕在化していない状況」以上の実践的合意はないこと、などが特性となる。
社会的交渉において、反対者も非顕在化した非合意を受け入れる要因は何か。それは、反対を表明しないことで得られるメリットが、反対を表明することでもたらされるメリットよりも大きいことである。具体的には、①補償等に関して一定の取引が成立する場合、②コミュニティ等一定のステークホルダー集団の中での特定の位置を維持したい場合、③反対を顕在化させる機会コストが負担できない場合等である。地方自治体の政策形成は、住民、地域に近いほど様々な利害関係の中で合意可能範囲を模索しつつ意思決定する。そこでは、社会的交渉プロセスを利害関係集団間の相互作用による闘争の産物となる。このため一定の範囲の数値化は可能であっても、社会的交渉にAIを組み込むには市場的交渉とは異なる視点を必要とする。
社会的交渉は「多数」の獲得ではなく、反対者の意思との距離を測りその距離を縮めることに本質がある。民主主義において「少数意見の尊重」が指摘されるのもこの本質による。もちろん、AIの学習データの集積と機械学習の蓄積により反対者の意思との距離を把握し、その距離を縮める選択肢の提示も可能となる。しかし、社会的課題解決に対しては、倫理的困難性が強く存在する。良く挙げられる例として自動車の自動運転に関して危険が生じた際に運転者・同乗者、車外にいる人、他の自動車、危険性のある施設等保護対象の優先順位をどう設定するかの問題である。倫理は、善悪の基準である。善悪の基準をどのように学習しデータ集積しているか、判断の有無も含め意思決定の流れを開示することが重要となる。その開示が、さらなる政治的闘争を生む。
AI開発と活用においては、問題解決の思考プロセスである「分析能力・アルゴリズム」の開発・向上が不可欠であり、とくに「深層学習」のプロセス構築は極めて重要となる。深層学習は「ディープラーニング」と呼ばれ、人間の神経細胞の仕組みを再現した「ニューラルネットワーク」という多層構造を用いる学習である。深層学習の機能により画像、音声、言語等を認識し思考プロセスに結び付け展開するには、紐づけしたデータによる学習プロセスからスタートすることが求められる。この紐づけしたデータを構成するのが学習データであり、学習データを活用してAIが自動的に学び思考プロセスが進化することでさらに様々な対象の認識と分析が可能となる。このため、深層学習には思考プロセスと同時に学習データの量と質の確保が重要となる。ICT等によって従来に比べると学習データを瞬時にかつ膨大に伝達・蓄積することが技術的には可能なため、AI活用の技術環境はさらに整いつつ進化している。その進化において、倫理の基準の普遍性を高めつつどのように設定するかにより思考プロセスの結果は大きく異なる。
社会主義・共産主義あるいは独裁的性格の政治体制では、学習データの伝達・蓄積において優位性を持ちやすい。他方、競争市場を通じて蓄積した膨大なデータは、AIの進化に大きなメリットをもたらしている。その代表格が米国のAmazonである。Amazonは、電子商取引(Eコマース)、クラウドWebサービス(AWS)を通じて膨大な学習データを蓄積している。とくにAWSを利用してAIアプリケーションを構築する民間企業はグローバル規模で拡大しており、学習データ環境を飛躍的に向上させている。この展開は、物流面でも大きなプラス効果をもたらしている。在庫の適正な維持管理、消費者や企業等に商品を届ける際のルート形成や、リスク要因との接触機会軽減による危機管理などに応用し、将来的には自動運転、ロボット・タクシーやロボット・トラックを通じた物流革命にも繋がる。
AIは、「アルゴリズム」の形成と、その進化を支える「学習データ」が両輪となって機能する。但し、こうした学習データの蓄積が独占体質を生み出し「情報アクセス権」を著しく制約する状況になることはデータビジネスの面だけでなく、災害等緊急時対応においても避けなければならない。これまでのモノやサービスを対象とした実体経済への独占禁止だけでなく、データの独占に対する禁止行政・司法体制の具体的形成が不可欠である。
(図表2)2021年パブリッククラウドサービスシェア(%)(全体額4106億ドル)
(資料)総務省「令和5年版情報通信白書」図表4-8-2-2から作成。
宮脇淳(みやわきあつし)
株式会社日本政策総研代表取締役社長
北海道大学名誉教授